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コンサートやオペラの感想を中心とした音楽日記になったかなあ・・・。

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G.ボッセ/紀尾井シンフォニエッタ/栗友会合唱団 定期演奏会 モーツァルト生誕250年記念

作曲家の絶筆とされる "Lacrynosa" までを演奏し、マタイ受難曲のコラールで最後を締めるのがゲルハルト・ボッセ流のモツレク。2002年7月におこなわれた新日本フィルとの演奏もこの形でした。そのボッセが紀尾井シンフォニエッタと栗友会合唱団と演奏するモツレクを楽しみに四谷へ。
紀尾井シンフォニエッタ 東京 第53回 定期演奏会

1.モーツァルトアダージョとフーガ ハ短調 K.546
2.交響曲第25番ト短調 K.183(173dB)
・・・・・
3.モーツァルトレクイエム ニ短調 K.626(バイヤー版)
入祭文~涙の日(ラクリモサ)第8小節目まで
4.J.S.バッハマタイ受難曲 BMV244 より
コラール「いつの日か私が逝かねばならぬとき」

ソプラノ大倉由紀枝(3)
アルト小原伸枝(3)
テノール畑儀文(3)
バス小原浄二(3)

ゲルハルト・ボッセ指揮紀尾井シンフォニエッタ 東京
(コンサートマスター:澤和樹)
栗友会合唱団(3)
(合唱指揮:栗山文昭)

2006年1月28日 15:00 紀尾井ホール
ホールに入るとロビーコンサートの最中、N響首席の樋口哲生を中心としたホルン4重奏によるフィガロの結婚がロビーに鳴り響いていました。今日の紀尾井シンフォニエッタは1Vn-2Vn-Vc-Va/Cb右の配置、編成はコンサートを通じて7-6-6-4-2。コンサートマスターは澤和樹。

プログラムの最初はアダージョとフーガハ短調。一昨年のNJPとの第九以来久しぶりに接するマエストロは元気そうでなにより。外見より中身、おおげさな表現はしなくてもデモーニッシュでドラマティックな曲の肝は充分に伝わる。アダージョではオーケストラの響きがやや散っているような印象を受けましたが、フーガ後半ではまとまった響きになってきりっと終わることができましたね。

2曲目は第40番と対比され、小ト短調交響曲と呼ばれることもある交響曲第25番。曲の冒頭から音のまとまり、アンサンブル共に良好な紀尾井シンフォニエッタ、やはりこうでないと(笑)。ロマンティックな味付けを排除したアーティキュレーションとさっぱりとしたフレージング、弦をきっちりと刻ませてビートをしっかりと感じさせ、決して弾き飛ばさせない。しっかりと地に足が着いていてかつ毅然としたモーツァルト。それでいて十二分に曲のドラマティックな一面を感じさせてくれ、手応え・聴き応え充分。第2楽章の暖かさと一歩踏み外すと奈落の底へ突き落とされるような心の深淵との共存。第3楽章は毅然としていて、ちょっと硬派なメヌエットでしたね。第1楽章と第3楽章での広田智之のオーボエ・ソロ、ボッセの意図を汲みつつよく通る磨きぬかれたサウンドと歌心は絶品でした。

後半はレクイエム、プログラムに挟み込まれた紙片には「ラクリモサは第8小節目までを演奏し、続けてマタイ受難曲のコラールを演奏します」と記されていました。私の記憶が正しければ、2002年7月のNJPとのコンサートでは "Lacrynosa" 全曲を演奏してからマタイのコラールを演奏していました。今回はモーツァルトの書いたところまでという意図を、より徹底したということなのでしょう。合唱はSATBの並び、ソリストは指揮者の前にSATBの並びでの演奏。

ロマンティックな味付けを排除したアーティキュレーションとさっぱりとしたフレージングはこの曲でも同じ。オーケストラだけではなく合唱にまで徹底、ドイツ風の発音で言葉の抑揚を重視して決して朗々とは歌わせてはくれない。"Requiem" 冒頭から一歩一歩淡々と進むようでいて、紡がれる音楽は深い味わいを湛えている。"Kyrie" の明確ポリフォニーと堂々たる構築感。"Dies irae" も大げさな表所付けはなく、語頭のアタックと弦の明確な刻みを徹底しただけだけなのに十二分にドラマティック。"Tuba mirum" 冒頭の安定感抜群のトロンボーン、透明感のある声と毅然とした歌の小原浄二をはじめとした4人のハーモニーも味わい深い。"Rex tremendae" も毅然とした 'Rex!' と 'Salva me' との明確な対比。"Recordare" は再び4人のソリストの熟成されたハーモニーと楔のような 'Ingemisco' が印象的。しっかりと拍を刻む "Confutatis" の確かな足取り、'Voca voca me' で忍び寄る死の気配そのままに "Lacrynosa" へ。`Lacrymosa dies illa, qua resurget ex favilla judicandus homo reus.' とバスのBACHの音形を経て8小節目まで演奏し断絶。そして美しいハーモニーのアカペラで、ひとつひとつの言葉をしっかりと噛み締めるように歌われるマタイのコラール。頬を伝った涙と、コラールが不完全終止で終わった後にもたらす空虚な余韻が示す死へのリアリティ。「いつか来るんだからね」と、(おおげさかもしれませんが)生き方を考えさせられるメッセージ性の強い演奏でした。

柄にも無くあれこれ考えながら次のコンサートへ向かうため、やや重い足取りで四谷駅へ向かったjosquinでありました。
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