G.アルブレヒト/読売日響 芸劇マチネー モーツァルト/マーラー
読響の演奏に接する機会は結構多いのですが、常任指揮者アルブレヒトの棒で聞くのは昨年の「神々の黄昏 第3幕」以来で約1年振り。昨日も高関健と群響の復活を聞いたばかりですが、今日も後半はマーラーですね(笑)。アルブレヒトと読響の巨人の演奏を楽しみに池袋へ。
読売日本交響楽団 第76回東京芸術劇場マチネーシリーズいつも通り弦楽を1Vn-2Vn-Va-Vc/Cb右とした配置の読響、弦の人数は前半が12型で後半は16型。
1. モーツァルト : 交響曲(第10番)ト長調 K.74 2. : 交響曲(第12番)ト長調 K.110(75b) 3. : 交響曲ニ長調 K.111/120(111a) 〈休憩〉 4. マーラー : 交響曲第1番ニ長調「巨人」
ゲルト・アルブレヒト指揮 読売日本交響楽団 (コンサートマスター:デヴィッド・ノーラン)
2006年3月12日 14:00 東京芸術劇場 大ホール
プログラム前半はモーツァルトの初期交響曲を3曲。いずれも作曲家が10台半ばに作曲をしたもの。3曲目は「アルバのアスカニオ」序曲を基にして交響曲に書き直した曲。アルブレヒトと読響の演奏は早めのテンポと豊かな響きで聞かせる、現代楽器オーケストラによる典型的なモーツァルト演奏のお手本のよう。ダイナミクスのコントロールもきちんと詰められていますし、引き締まったプロポーションと豊穣とも言ってよい響きは誠に美しい。読響も小回りの効いた演奏を披露していましたが、3曲目のフィナーレ以外は小さな道を大きな車で通るような感触が無きにしも非ず。弦楽をもう一プルト減らして10型で丁度良いのかも。3曲とも同じ曲のように聞こえてしまうのは、モーツァルトと言えども、ひとうひとつの曲の個性がまだ薄いということなかなあ・・・(耳にしたことはないのですがアーノンクールだったらどうだろうと思いつつ、笑)。
さて、後半はマーラーの交響曲第1番「巨人」。読響の持つ機能性の高さををアルブレヒトが存分に発揮させた演奏と言えるでしょうか。第1楽章冒頭の響きの精妙さ、テーマを歌うチェロ慎ましさ、そして燦然たる輝きを放つ終盤。第3楽章冒頭のコントラバスソロも曖昧さの無い見事さ、さすらう若人の歌からの引用部分での柔らかな弦の響きの美しさも出色。そして再び見事な輝きを放って、オーケストラを聞く醍醐味を堪能させてくれた終楽章。でも、何か物足りない気がするんですよね。マーラーの「陽」の部分は本当に見事な演奏で言うことはないんです(笑)。「陽」際立たせる「陰」の掘り下げ(抉りと言ってもよいかも)が浅く聞こえてしまうんですね。現実を直視せずに、すーっと通り過ぎてしまうような。josquinには昨年5月に同じオーケストラを振った下野竜也との演奏のほうが好ましく感じられました。
常任指揮者アルブレヒトの任期もあと1年とほんの少し。来年3月31日にここ東京芸術劇場で予定されている、マーラーの交響曲第9番が任期最後の演奏会となります(むろん、それまでに何度もこのコンビの演奏会はありますので誤解なきよう・・・)。
Comments
私もこのコンサートを聴きました。
前半のモーツァルトの引き締まった演奏がとくに印象に残っています。
前回のホーネックのジュピターの時は、フレーズの最後が少し流されているというか、雑に感じたところが無きにしも非ずだったのですが、この日のアルブレヒト&読響は素晴らしかったです。モーツァルトの初期シンフォニーが好きなのも私にとっては大きかったかもしれません。(笑)
ホーネックとアルブレヒトではオーケストラに与えるテンションがかなり違うのではないかと思います。ホーネックのテンションはかなり高いですし、アルブレヒトは読響に対しての程良いテンションをよく知っている(シェフだから当然ですが・・・)。そんなところが精度の差になっていたのかなあと勝手に推測してみました(笑)。