バレンボイム バッハ:平均律第1巻全曲
指揮者としてのバレンボイムは何度も聞いたことがあるものの、ピアニストとしてのバレンボイムを聞くのは今日が初めて。バッハの平均律第1巻全曲を聞きに赤坂へ。
ダニエル・バレンボイム バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第1巻・第2巻 連続演奏会客席の灯が落ちてバレンボイムが登場し、ホール四方の客席に向って丁寧に挨拶。そして、第1番ハ長調の前奏曲がやや早めのテンポで流れよく、澄み切った美しい音色で開始されました。上昇音形が繰り返されるたび、微妙に音の色合いを変化させながら曲が表現されていく。肩の力を抜いて、バッハの書いた音符をまるで慈しむように音を紡いでいくバレンボイム。大きな身振りはまったくなく、効かせるのは極少量のスパイス。そしてバレンボイム自身のもつロマン性が全体にほのかに漂う。第4番の深遠さと最後の終止音形の余韻のような味わい、第7番前奏曲の音の伽藍、第8番も深遠、偶数番の短調の曲がしんぷるだけど深く表現されればされれるほど、なにもしなくても奇数番の長調の曲の明るさが引き立ちどこか悲しげな風情を垣間見せてくれる。第12番までの前半だけでも、聞いていて本当に良かったと思える素晴らしい演奏。
・ J.S.バッハ : 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 BWV846-869
ピアノ : ダニエル・バレンボイム
2005年2月13日 14:00 サントリーホール 大ホール
バレンボイムは休憩後の第13番からでも、前半に増してより一層深化した音楽を聞かせてくれました。短調の曲はよりシンプルにより深く悲しみを、長調の曲はより澄み切ったかつどこか悲しい世界を。ピアノからピアニッシモへ、そして音数が少なくなるほどなるほど凝縮された美しさを増し祈りの表情を増していく。途中から平均律という器楽曲を聞いているのではなく、敬虔な祈りを捧げる宗教曲を聴いているかのように思えくる程。
終曲の独特の足取りを持つ音形を主題とするフーガが終わり、音が消え切った後の万雷の拍手とブラボー。本当に素晴らしい演奏を聞かせてくれたバレンボイムに感謝したいと思います。
こんな素晴らしい演奏を聴いてしまうと、予定していなかった明後日の第2巻も無性に聴きたくなってしまうではありませんか。困ったものですが、そこは来週のベルリン・シュターツカペレまで我慢することにしませう(笑)。
Comments
うらやましいです。なんやかんやと思いながらも
バレンボイムは、ピアニストとしては自分の中では
スタンダードなんです。
(デュ プレがまず好きでそのパートナーだったと
言う意味でなんやかんやと思うわけです)
そんないい演奏だったんですか・・
CDを買いたいなあ・・(爆)
ほんとに良かったです。
今年に入ってのベスト1かも。
ピアニスト、バレンボイムのイメージ変わりそうですもん。
音声収録用のマイクはぶら下がってましたが、残念ながらマネージメントの記録用だと思います。
職業上の□□根性で、ここはこうしてる!あッ、オクターヴで補ってる、前打音はこうやってる、と逐次メモを取りかけたんだけど、だんだん矮小なことは忘れ、48曲聴き終えた時にはこちらをすっかり至福の域へと誘う、けだし名演でしたね。ただ、聴いた席も違っていましたが、第2巻がいっそう、愉悦に富んで、自在で、楽曲のスタイルの多様さ-あらゆる時代の音楽を予見するBACHの創造-に感応して見事でした。ピアノの近代的機能でBACHの意図を十分に補いつつも、衒学的で、安易な原典主義に堕さない、大らかな巨匠の域。何よりふくよかで芯があるピアノの美音に満ちた温かい演奏でもありましたね。
81年BayreuthのTrsitanで聴いた若きマエストロも、こうやって目まぐるしい現代の音楽市場で生き残り、しかも正統たる王道を行く。その源流に、当然とは言えこうしてBACHがあるんだな、との感を強くしました。
在京で素晴らしい演奏会に足繁く通われているページ主(あるじ)様が羨ましい限りです。
第2巻も聴かれたのですね、羨ましい限り・・・。無理してでもいけばよかったかなあ(笑)。
> ピアノの近代的機能でBACHの意図を十分に補いつつも、衒学的で、安易な原典主義に堕さない、大らかな巨匠の域。
Robertさんのこの感想が、バレンボイムの演奏を見事に言い表していると思います。両日を聴いたピアノ弾きの友人もほぼ同様な感想を、私にメールで伝えてくれました。私の聞いたバレンボイムの演奏の中でも、2002年来日時の指輪に匹敵する印象深い演奏でした。
今後とも(西方から)よろしくお願いします。