ホール・オペラ トゥーランドット A.グルーバー/N.ルイゾッティ/東響
一昨年のトスカそして昨年のラ・ボエームと続いてきた、サントリーホールのプッチーニ・フェスタ最終年は荒川静香が氷上で演じ一躍有名な作品となったこの作品。今年もニコラ・ルイゾッティが振るプッチーニのトゥーランドットを楽しみに今日は六本木一丁目へ。
サントリーホール プッチーニ・フェスタ 2004-2006ニコラ・ルイゾッティの血が騒がずにはいられない情熱的でダイナミックな指揮のもと、音楽的にはすこぶる充実した演奏を披露していました。しかし、プッチーニの絶筆となった「リューの死」以降、アルファーノが補った部分を「聴衆の判断に任せる」として、単なるコンチェルタントとして上演したデニー・クリエフの演出に後味を濁されてしまった公演でした。
ホール・オペラ プッチーニ:トゥーランドット
・ プッチーニ : トゥーランドット (全3幕・日本語字幕付)
トゥーランドット : アンドレア・グルーバー カラフ : ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ リュー : スヴェトラ・ヴァシーレヴァ ティムール : ジャコモ・プレスティア ピン : ガブリエーレ・ヴィヴィアーニ パン : ジャンルカ・フローリス ポン : 櫻田亮 皇帝 : 鈴木寛一 役人 : 清水宏樹 ペルシャ王子 : 秋谷直之
ニコラ・ルイゾッティ指揮 東京交響楽団 (コンサートミストレス:大谷康子) 藤原歌劇団合唱部 (合唱指揮:ロレンツォ・フランティーニ) 東京少年少女合唱隊 (児童合唱指揮:長谷川久恵)
演出/装置/衣裳 : デニー・クリエフ 照明 : 石井幹子
2006年4月9日 16:00 サントリーホール 大ホール
舞台奥に陣取る東響は14型の編成で、弦は 1Vn-2Vn-Vc-Va/Cb左 の並び。舞台前方には左側に正方の板をつなぎ合わせた赤い球体、右側には太い骨組みの立方体、その間には白い(正面から見て)逆三角形の台が設置。合唱はPブロックに陣取り、オルガン正面には王座、右側には銅鑼を配置。一昨年のトスカや昨年のラ・ボエームに比べるとシンプルな印象を受ける舞台構成となっています。
まずは音楽面からいきましょうか。タイトルロールはこのプロダクションが日本でのオペラ公演デビューとなったアンドレア・グルーバー。滑らかな響きと耳に刺さってくるような強靭さを両立した声、それでいてしなやかな歌い回しが出来る素晴らしい歌手。トゥーランドットというとっても素直じゃないお姫様に相応しい強い意地っ張り具合と、フィナーレでやっと見せる素直な優しさが見事に表現されていました。
カラフは今回のプロダクションがロールデビューとなるヴィンチェンツィオ・ラ・スコーラ。今まで彼の歌声には何度か接していますが、最良の出来栄えだったように聞きました。カラフ役に必要な力強さはもちろんのこと、単調にならない感情の表現も優れたものを発揮していたように思います。でも、実際の出来栄えには関係なかった(と私は判断しました)とはいえ、リューの死以降の譜面台は印象悪し。あと少しなのに、何もクリエフの片棒担がなくても良いのに・・・。
リューはスヴェトラ・ヴァシーレヴァ、グルーバーと共に私は(多分)はじめて耳にする人。体から溢れ出るような豊かな声量を見事ににコントロールし、内に秘めたくても抑えきれないカラフへの思いがそこここに感じられる見事な歌唱を披露。個人的にはもう少し押さえ気味の表現が好みですが、中低音の充実と細身に絞った高音のコントロールといい素晴らしい出来栄えでした。
カラフのお父さんティムールはジャコモ・プレスティア。この役柄は枯れた味わいで聞かせてくれることが多いのですが、彼は深々とした声で毅然とした父親像を聞かせてくれました。実に立派なお父さんでしたね。
大臣トリオのピン、パン、ポンも充実。生きの良い歌声を聞かせるガブリエーレ・ヴィヴィアーニを中心に、ジャンルカ・フローリスと櫻田亮と共にコミカルな味わいを存分に楽しませてくれました。その他の役柄を担当した歌手も役割を十分に果たした歌唱を聞かせてくれました。
指揮のルイゾッティは相変わらず素晴らしいプッチーニをオーケストラや合唱から引き出してくれます。打楽器を中心に強烈なアクセント加えながら、尋常ならざる熱気を孕み直線的にスケール豊かに盛り上げる情熱的な音楽作りは健在。それでいて細部を決しておろそかにせず、プッチーニの色彩的なオーケストレーションや合唱の表現にこだわりを聞かせ、歌手達への配慮にも欠けることが無い見事な統率ぶりは本当に何度接しても(今回で4度目ですが、笑)お見事。個人的に結構退屈することもある(俺だけ?)謎解き場面を眠気を感じずに聴けたのは彼のおかげといっても過言では無い。3人の大臣に負けず劣らずのノリのよさも実に愉しい限り。東響もがっちりとした土台をベースにした シンフォニックな響きと情感の豊かな演奏で応えていました。また、迫力のある歌声を披露した藤原歌劇団合唱部には、柔らかな表現の一層の充実とややささくれ立った感じの残るテノールの技量の向上を望みたいところ。
最後にクリエフの演出ですが、基本的にはシンプルな舞台装置で聞き手が音楽に専念できるものでした。2幕の3大臣が姫のわがままの犠牲者達を人形で示した部分はちょっと滑稽でしたし、(意図はよくわからないけど)3人が葉巻を銜えて出てきたりするのも面白かった。でも、フィナーレだけは正直言っていただけなかった。リューの死の後で一端音楽を止めるのもわかるし(Bunkamuraのトゥーランドットがそうだった)、トゥーランドットが普通の感情を持つ人間になったという風にも取れなくもない。アルファーノの補作部分が味わいが薄いというのも、わからないでもない。でも、「プッチーニがこれ以上前に進めなくなってしまったのは何故か?それを私は、聴衆に判断してもらいたいのです。」と普通のコンチェルタントにしてしまうのは如何なものかと。そうするくらいならリューの死で終わるのも一案だし、アルファーノ補作版のように華やかには終わらないベリオ補作版を採用する選択肢もある(東響は昨年6月にユベール・スダーンの指揮で演奏しているし)。「何もしない」ではなく、演出家クリエフとしての考えを提示して欲しかったと思います。
3年にわたって開催されたサントリーホールのプッチーニ・フェスタ。最後はなんだか後味が悪くなってしまいましたが、充実の音楽面を統率した指揮者ルイゾッティに出会えたのが一番の収穫。また近いうちに彼の振るイタリア・オペラの上演に接したいもです。
Comments