秋葉京子/福井敬/飯守泰次郎/東京シティ・フィル 定期演奏会 ベリオ/マーラー
ここ何年か晩夏のワーグナーと年末の第九を聞いてきた飯守/東京シティ・フィルの組み合わせ。定期演奏会を聞くのは恐らく2002年5月のブルックナー「ロマンティック」以来。先月末に藤村実穂子/アルミンク/新日本フィルの素晴らしい演奏で聞くことができた大地の歌がまた聞けるのも嬉しいところ。今日は上野へ。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第191回定期演奏会13:15から始まる飯守泰次郎のプレトークから聞こうと思っていたのですが、家を出ようとした直前に電話掛かってきたりしてあえなく断念。13:30頃ホールについてロビーの椅子に座ると、聞こえてくるピアノの音楽はまだ大地の歌の第1楽章(^^ゞ。終わるんかいなと思いつつ、腹ごしらえしながら扉から漏れてくる音を聞いていたら終了予定の13:45分頃に「告別」が聞こえてきた(笑)。結局、5分押しでプレトーク終了(笑)。
1. ベリオ : レンダリング (シューベルト:交響曲 D.936A(未完)による) 休憩 2. マーラー : 交響曲「大地の歌」
アルト : 秋葉京子(2) テノール : 福井敬(2)
飯守泰次郎指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 (コンサートマスター:戸澤哲夫)
2005年7月31日 14:00 東京文化会館 大ホール
舞台上のオーケストラはヴィオラ外側の通常配置で、弦楽の編成は12-10-8-8-7(前半)/14-12-10-8-7(後半)。
プログラムの最初はベリオのレンダリング。シューベルトの未完交響曲をベリオが補作+αを施した作品で、初めて耳にする作品。飯守泰次郎と東京シティ・フィルはベリオが素直に補作した部分は、低弦を効かせながらもフレッシュなサウンドで生き生きとした音楽を展開。補作を超えてベリオらしさが表れたところはやや混沌とした感じで、各パートが色々と細かい動きをしているのがいまひとつクリアに聞こえてきません。素直に補作した部分は音楽の流れが良くすこぶる魅力的だっただけにちょっと残念でした。
後半はマーラーの大地の歌。先月聞いたアルミンク/NJPのテノールが彼だったらなあ・・・、と思ってしまった程に素晴らしかったのが福井敬の力強く表現力豊かな歌唱。飯守がかき鳴らすオーケストラに負けない強く潤いを持った充実した歌声の素晴らしさ。その声を十二分に駆使し、決して一本調子にならずに歌われる表現力の多彩さ。いままでに接した彼の歌唱のなかでもベストではないかと思わせるほど見事。福井さん、一皮向けたのではないでしょうか。アルトの秋葉京子が持つ深い声は曲に合っていると思うのですが、声自体の抜けが悪いのと歌自体が練れていなくて残念な出来。告別の長大なオーケストラの間奏の後は、声の潤いが幾分持ち直し歌自体もよくなっていました。でも最後にオーケストラと盛り上がる部分までは残念ながらそれも持続せず。両ソリストの出来が揃うのはなかなか難しいなあと実感しました。寺谷さんか小山さんだったら・・・・・・。
飯守泰次郎のマーラーを聞くのは初めてですが、表現の起伏が大きいドラマティックな演奏ですね。マーラーの音楽の泣き、笑い、叫び、悲しみ等々を強調し、そのままいやそれ以上に表現することを要求しているかのよう。それでも誇張しすぎた嫌味な音楽には聞こえずに、「もっともっと!」(表現がちと古過ぎ?)と思ってしまうのは飯守マジックなんでしょうね。手兵の東京シティ・フィルは飯守の棒によく喰らいついていていました。NJP等と比べると機能性の向上(特に木管と金管)を求めたいところもありますが、弦楽を中心にマーラーらしいサウンドを聞かせていてよく健闘していたと思います。
なお余談になりますが、第1楽章の飯守の棒は斎藤指揮法でいうところの「跳ね上げ」じゃなくて限りなく「引っ張り上げ」に近いですよね。あの棒でアンサンブルが揃うんですから、さすが手兵東京シティ・フィルなんだなあと感心して聞いておりました(笑)。
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