ザルツブルクイースター音楽祭 フィデリオ ラトル/ベルリン・フィル
昨日に続いて、ラトル/ベルリン・フィル。フィデリオを聞きに上野へ。
ザルツブルクイースター音楽祭 来日公演主役はラトルとベルリン・フィルと言っても決して言い過ぎではないでしょう。ピットに入ったラトル指揮のベルリン・フィルは強力無比。自然と耳はオケの表現力の素晴らしさ(というか凄まじさ)ひきつけられる次第。ずっしりとした重いオケの音を基調とした聴き応え十分の序曲に始まって、表現のコントラストが思い切ってつけられているのがラトルらしいところ。音の強弱や長短、表現の剛柔、テンポの遅速等々。ドン・ピツァロが囚人達を庭に出したロッコを怒る部分の厳しい激しさと、「春になりまして〜」なんてのんきにロッコが言い訳をするのどかな優しさなんかはその典型。フィナーレの合唱のシュプレヒメント調の歌詞の扱いとオーケストラの爆発と形容してもおかしくない歓喜。ザルツブルクでの上演をNHKが放送したのを見た時、ベルリン・フィルの音の重さがキレの悪さにつながっているように聞こえたのですが、実際に聞いてみるとそうではない。ラトルがベルリン・フィルの特徴を生かしつつ、ドラマティックに音楽を作っていっているのがよくわかります。歌手への配慮もきめ細かくコントロールしていましたし(意図的に声を覆っているところもあります、というかこのオケに全力で思い切って弾かれたらよっぽどの歌手でないと対抗できない)。ウィーン・フィルのように自発的に舞台とのやり取りができるわけではないので、よくも悪くも指揮者の双肩にかかっている。その点でもラトルはよく振っていたと思います。レーンホフのある種の愛想のない演出とせりふを一切省いた上演形態も、最後まで集中力を切らさないラトルとベルリン・フィルの演奏あって成り立つのではと思いました。
ベートーヴェン : 歌劇「フィデリオ」
レオノーレ : カミッラ・ニールンド フロレスタン : ジョン・ヴィラーズ ドン・ピツァロ : アラン・ヘルト ロッコ : ラインハルト・ハーゲン マルツェリーネ : ライザ・マイルン ドン・フェルナンド : マティアス・ヘレ ヤキーノ : ティモシー・ロビンソン 囚人1 : ルネ・フォスキューラー 囚人2 : ヴィルフリート・シュタウフェンビール
サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (コンサートマスター:ガイ・ブラウンシュタイン) ベルリン放送合唱団 (合唱指揮:サイモン・ハルジー)
演出 : ニコラウス・レーンホフ (2003年 ザルツブルク・イースター音楽祭新演出)
2004年11月15日 19:00 東京文化会館 大ホール
ソリスト陣は強力なオーケストラに対抗できる人材が揃っていました。ニールンド(レオノーレ)はやや線が細いかもしれないけれども、芯の強いレオノーレ像。フロレスタンを救出した後の女性らしい優しさに満ちた表現とのコントラストもまた見事でした。ヴィラーズ(フロレスタン)は2幕前半の絶望と苦しみを充実した陰のある音色で十全に表現し、後半の開放の喜びとの対比へと結びつけた素晴らしい歌唱。ヘルト(ドン・ピツァロ)は明るく押し出しの強い声。いやなやつ振りがもう少し欲しい気もしますが、ロッコとの声のキャラクターの違いは明確でした。ハーゲン(ロッコ)は伸びのある声が印象的。ロッコの生真面目なキャラクターが素直に伝わってくる好演。マイルン(マルツェリーネ)は容姿がちょっと太めですが、歌にはチャーミングなところがあってまずまず。ヤキーノ(ロビンソン)は典型的なキャラクター・テナーで、ふてくされた感じの演出の扱いと相まっての好演。ヘレ(ドン・フェルナンド)は威厳のある立派な声で役柄にマッチした歌唱。この役は昨年のザルツブルクの上演ではクヴァストホフが歌ったんだよなあ・・・(単なる独り言です)。
ベルリン放送合唱団は安定したハーモニーと、強力なオケに負けない力強さを兼ね備えた充実した出来栄え。どうせならリサイタルしてくれてもいいのに、オペラ公演だけとはもったいない(ダフニスを合唱付でも良かったのに)。
演出はシンプルな舞台装置と照明で簡潔に表現するやりかたはレーンホフらしいなあと。。やっぱり光の使い方がとても印象的でした。ただ、私の座った席からは舞台右手の階段がまったく見えなかった・・・(放送で見ていたの何やってるかはわかるのですが、でもちょっと悲しかった)。
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