大植/大阪フィル 東京定期 マーラー:交響曲第6番
朝比奈隆が亡くなった後、3年前に若杉弘が振った第41回以降休止状態になっていた大阪フィルの東京定期。2003/2004シーズンから大植英次がシェフとなって丸2年、満を持して再開された東京定期の演目はマーラーの第6交響曲。このコンビの東京デビューを聴きに赤坂へ。
大阪フィルハーモニー交響楽団 第42回東京定期演奏会大阪フィルを聞くのは朝比奈隆の振った2001年7月ブルックナーの第8交響曲以来。大植英次は2002年12月に読響を振った英雄の生涯以来になります。オーケストラと指揮者、共に久しぶりに聞くことになります。
・ マーラー : 交響曲第6番イ短調「悲劇的」
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 (コンサートマスター:ロバート・ダヴィドヴィッチ)
2005年3月20日 14:00 サントリーホール 大ホール
オーケストラは1Vn-2Vn-Vc-Va-Cbと通常の配置、弦の編成は16型。チューニングも終わり大植英次が舞台に現れると期待感のこもった大きな拍手。彼が指揮台に上がるとひときわ拍手も大きくなります。大植英次独特の指揮棒を持つというよりは握りしめるという表現が相応しいの棒の持ち方は以前と少しも変わりないですね。そして予備拍を小さく4つ刻んで、これも彼らしいダイナミックなアクションと共に第1楽章が開始されます。
冒頭の低弦が重量感を伴ったリズムが耳を惹き付けます。ややテンポを落とした第2主題(アルマのテーマ)を奏でる高弦も厚みと深みを湛えた音色がすこぶる魅力的。大植はがっちりとした骨組みを構築しながら骨太ともいえるマーラーを描いてきます。ところどころぐっとテンポを落とし思い切った表情を付け、フレーズをたっぷりと歌わせるのが良いアクセントになっています。第2楽章は今日の演奏ではスケルツォ楽章。第1楽章同様に低弦を中心に刻むリズムの重さと、トリオのテンポを落としての田舎臭さと鈍重さが一緒になった独特の雰囲気を醸し出します。第3楽章は深みを湛えた弦の歌がなんともいない美しさイングリッシュホルンの悲しげな歌や、室内楽的な場面に絡むホルンのソロも見事(欲を言えば、もう少しデリケートな味わいがあると更に素晴らしかったかも)。終楽章、冒頭から少し経過した部分でクラリネットとファゴットで奏でられる旋律が、一音一音に重みと深い情感が湛えられていて素晴かったこと。マーラーの音楽が内包する、叫び、悲しみ、諦め、喜び・・・等、いろんな要素を的確に表現しつつ、決して全体を見失わない素晴らしい骨太なマーラーでした。
大阪フィルは大植がシェフになってから2年目が終わろうとするところですが、以前に較べて明らかに機能性が向上していて魅力的なオーケストラに成長しているように聴きました。このマーラーの大曲を崩れることのない緊密なアンサンブルを最後まで繰り広げていました。弦は厚みと深みを湛えた音色がすこぶる魅力的ですし、木管も個々の奏者の技量およびアンサンブルも良好、そして金管の安定度が以前に比べて格段に向上しています。また、メンバそれぞれが思い切って表現しているのがよくわかります。大植とオーケストラの関係が非常に良好な状態にあることが演奏からも伺えました。
最後の一突きの後、最後の音が消え去った後の静寂がきちんと保たれたのも喜ばしい限り。大植が客席に向って振り向いたときの拍手とブラボーが盛大だったのも納得の演奏でした。カーテンコール、大植が最後に指揮台上で拍手に応えたとき、胸ポケットから1枚の写真を取り出して聴衆に見せていましたね。私の席からははっきりとは見えなかったのですが、おそらく朝比奈隆の写真だったのではないでしょうか。
プログラムに大阪フィルの4月からのシーズン予定が掲載されていました。9月に大植と私の大好きなあの曲を演奏するではないか。この魅力的になった弦であの終楽章を聞いてみたい・・・。うーむ、大阪かあ(悩)。
Comments
ブルックナーの大フィルからマーラーの大フィルになるのか,マーラーもの大フィルになるのか。興味深いところです。
来シーズンの定演に取り上げられる曲は,意欲的というか,本当に大丈夫?と思えるような曲ばかり。
やはり,大阪に来ていただく必要がありますよね,特にマーラーの3番の時には!
> 大阪に来ていただく必要がありますよね
あんまり「背中押し」しないでくださいな。本当に行ってしまいそうですから(笑)。
私も3月20日の東京定期を聴きました。
マーラー6番をあらゆるオーケストラ曲の最高傑作と信じる私は、首都圏で開かれるマーラー6番の公演には可能な限り足を運んでいます。
私は1977年の東京公演(ブルックナー6番)以来の大フィルでしたが、金管(特にトランペットとトロンボーン)が抑制しすぎて、分厚い音のオーケストラに埋没している場面が多かったと思います。マーラー6番で、トランペットは随所で大変重要な役割を果たすのに、それが埋没していては面白くないのです。打楽器も迫力に欠けました。第4楽章終盤では、N響ではシンバル4つで盛り上げる場面も足しは2つしかないし、ティンパニも、大太鼓も銅鑼も迫力にかけているのです。マーラー6番って、豪華絢爛で、キラキラと光り輝いて鳴り切るはずなのに、ちょっとつまらない演奏でした。
確かにバランス的にはトランペット等が突き抜けて聞こえて欲しいなあというところはありました。でも大植/大阪フィルは豪華絢爛なマーラーを狙ったものではなく、むしろ逆の側面に光を当てた演奏だったように私は聴きました。そういうところに私は好感を持ちました。
私の場合、マーラー6番を聴く時は、必ずわくわくしながら、ちょっと手に汗握りながら聴き始めます。今回珍しく、最初からそれが無かったのが不思議でしょうがないんです。爽快さと、ため息の出るような美しさと、ど迫力と最高のオーケストレーション。マーラーはパロディ作家ではないかと言う意見も多く。私もそう思うときがあります。一つ高みに上って、見てみるとマーラーが笑いながら我々聴衆を見ているような気がしてならないんです。