藤原歌劇団 蝶々夫人 C.M.イッツォ/A.ギンガル/東フィル
藤原歌劇団の蝶々夫人は、前回2002年7月に上演されたマリアーニ演出/チョン・ミョンフン指揮のプロダクションがまだ記憶に新しいところ(特にチョン・ミョンフンの指揮)。今回は故粟国安彦の日本的なオーソドックスな演出での上演。今日は藤原歌劇団の蝶々夫人を楽しみに上野へ。
藤原歌劇団 蝶々夫人アラン・ギンガルが比較的大きな身ぶりで振りはじめると同時幕が上がると、舞台上は伝統的な日本のテイストに満ちた空間が目に入ります。故粟国安彦(粟国淳のお父さん)の演出は、隅々まで神経が行き届いていて安心して見る(そして聞く)ことができます。蝶々さんをはじめとする日本人役の動きはもちろんのこと、アメリカ人ピンカートンの演技も細かなところまでよく練られています。本当に細部まで(日本人的に)違和感がないのが長年親しまれてきた演出の証でしょう。最後に蝶々さんが衝立の裏で自害し、苦しんだ末衝立を倒すところの光の使い方は鮮烈でとても印象的でした。
・ ジャコモ・プッチーニ : 蝶々夫人 全2幕 字幕付原語上演(リコルディ版)
蝶々夫人 : カルラ・マリア・イッツォ ピンカートン : グスターヴォ・ポルタ シャープレス : 牧野正人 スズキ : 森山京子 ゴロー : 小宮一浩 ボンゾ : 彭康亮 ヤマドリ : 清水良一 神官 : 坂本伸司 ケイト : 小林厚子 子供 : 樋渡結衣
アラン・ギンガル指揮 東京フィルハーモニー交響楽団 藤原歌劇団合唱部 (合唱指揮:及川貢)
演出 : 粟國安彦 演出補 : 松本重孝
2006年2月5日 15:00 東京文化会館 大ホール
今日の蝶々さんはカルラ・マリア・イッツォ。最初は声が温まっていない感じがしましたが、第1幕後半ピンカートンと2人きりになるあたりから徐々に本領を発揮。第2幕は辛抱強くピンカートンを待つ心情と内なる強さを落ち着いた声にのせて表現できる力量の確かなこと。そして、次第に思いを高ぶらせていきドラマティックな表現で最後まで見事に歌いきっていましたね。それでいて、この役に求められる節度みたいなものをきちんと押さえていたのがとても良かったと思います。声量もとっても豊かですし、繊細な声のコントロールも上手いものです。また機会があれば聞いてみたいひとですね。
ピンカートンはアルゼンチン生まれのグスターヴォ・ポルカ。やや甘めの声質、適度に荒さを感じる歌い口が特徴と聴きました。ヤンキー的なピンカートンとしてはぴったりだったかと思います。第1幕で高音がすっきり抜けるともっと良い印象を与えることが出来ると思います。
スズキは森山京子。声の充実と存在感はスズキとしてはもったいないくらい。でもこれくらいの存在感を持って、蝶々夫人に寄り添い支えてくれるスズキはあまりいないかも。こういうひとがスズキを歌うと音楽がぐっと充実して聞こえます。特に、第2幕のゴローや戻ってきたピンカートンとのやりとりは聴き応え充分でした。
シャープレスは牧野正人。明るく響きのよくのった良い声は魅力的なのですが、その明るさと時折顔をだす音程と歌い口の甘さが気になります。ピンカートンのお目付け役としてシャープレスを捕らえると、残念ながら厳しさみたいなものが物足りない。シャープレスという役はこの人の持ち味とはちょっと違うのではないかなあと、思わなくもありませんでした。
他の役では、小宮一浩のゴローが役のイメージにたがわない歌唱、ボンゾの彭康亮も最近いつも安定した力量を発揮していますね。
アラン・ギンガルは東洋風でもイタリア風でもない、ちょっと独特の風味のあるプッチーニですね。ゴローの台詞じゃないけどテンポは「伸縮自在」で、リズムやフレーズの歌わせ方が耳慣れた雰囲気とは異なるところもちらほら。それ故か、歌手との折り合いが悪いところもなきにしもあらず。しかしながら、東洋風で派手な音響効果を控えめにし、第1幕後半をはじめとする甘美で繊細な美しさに焦点を当てた音楽作りはとても好感が持てます。東フィルの弦にもっと艶があれば、その特徴は更に際立ったものになっていたかもしれません。第2幕後半からは蝶々夫人のイッツォに負けない、ドラマティックな音楽を展開しながら東フィルから切れの良いサウンドを引き出していたのが印象の残りました。東フィルはそんなギンガルの棒に、終始美しいサウンドと良好なアンサンブルで十二分に応えていたように思います。
第2幕が進むにつれてあちこちで鼻をすする音が聞こえていましたね。充実した上演だった証かなと。最後にひとつだけ。「ある晴れた日に」は全曲立たせて歌わせて欲しかった。立ち上がって歌ったクライマックスの前と後で、明らかに声(歌)のクリアランスが違って聞こえました。着物に慣れている日本人歌手だったらあまり問題にならないのだろうけど・・・。
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