ゲルバー/アルミンク/新日本フィル トリフォニー定期 ラフマニノフ/ロクシン
「ロクシンて誰やねん?」と思ったのは私だけではあるまい(笑)。プログラム誌の解説を担当した渡辺和さんが苦心した様子がblogに綴られている程ですから、私なぞ当然知っている訳もない(爆)。日本初演となるロクシンの作品とゲルバーのラフマニノフを楽しみに錦糸町へ。
新日本フィルハーモニー交響楽団 トリフォニー・シリーズ 第393回定期演奏会今日の新日本フィルは前後半ともに1Vn-2Vn-Va-Vc/Cb右の配置で弦は14型。
1. ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第3番ニ短調 作品30 * 2. ロクシン : 交響曲第1番「レクイエム」 混声合唱と管弦楽のための(1957/1974改訂) 日本初演
ピアノ : ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(1)
クリスティアン・アルミンク指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 (コンサートマスター:豊嶋泰嗣) 栗友会合唱団
ソプラノ : 赤坂有紀 アルト : 雨宮晶子 テノール : 堀津誠 バス : 関和行 (合唱指揮:栗山文昭)
2005年11月11日 19:15 すみだトリフォニーホール 大ホール
前半はゲルバーを迎えたラフマニノフの3番のコンチェルト。ゲルバーをはじめて聞いたのは2003年2月のベートーヴェン・リサイタル(紀尾井ホール)。決して器用な人ではないけど音色といい実直な姿勢といい、いい味を出しているピアニストだなあとそのときは思いました(何故か過去形)。今日のラフマニノフは如何に。
ピアノがオーケストラにかき消されるのはよくあるケースですが、今日は逆。オーケストラがピアノにかき消されている。荒々しく骨太にわが道を進むゲルバーのピアノがホールに鳴り響く。それとは対照的にアルミンク/NJPは自らの持ち味である繊細な味わいを生かしながら、独特なリズムで演奏するゲルバーに出来る限り合わせていく。あまりにも両者の音楽が違うので、第1楽章はギクシャクした感じは否めませんでした。徐々にアルミンク/NJPがゲルバーに合わせてはいたものの、いまひとつしっくりとこない演奏でした。ゲルバーがもう少し歩み寄ると印象は違ったものになったのかもしれませんが・・・。アルミンク/NJPの繊細なラフマニノフはまた聞いてみたいと思いました。相性の良さそうなピアニスト(アンスネスなんかぴったりだと思うけどなあ)との共演か交響曲第2番とかを。
さて後半はロクシンの作品。アルミンクのプレトークをロビーでパンを食べながら途中から聞いていたら、ロクシンの作品が演奏されるのはどうやら今日がはじめてのようです。この交響曲第1番、曲は三部から成り切れ目なく演奏されます。第2部にはセクエンツィア(怒りの日~涙の日)を歌う混声合唱が入ります。
なんだか不思議な余韻の残りますねこの曲。第1部では魂が彷徨い、第2部では魂が戦い、そして第3部では浄化し昇天するように見せかけながらまだ魂がそこら(ホールの中)に漂っている(第3部)。分析的に聞くよりも、その音楽の流れに身を任せるほうがこの曲の個性を味わえるような気がしました。音楽的な雰囲気はマーラーや新ウィーン楽派のテイストとロシア的(オスティナートのリズム等)なテイストが感じられました。
余計な味付けを施さず慎ましいアルミンクの音楽作りが、この曲の素性を的確に表現していたと思います。NJPも美しい音色と細かな配慮の行き届いたアンサンブルで応え、栗友会合唱団も9月の復活同様に男性を中心とした透明感の高いハーモニーを聞かせてくれました。また、合唱団員のソロも秀逸でした。恐らくロシア系の指揮者やオーケストラの演奏ではこの曲の独特の雰囲気は消し飛んでしまうのではないかとも思います。そんな意味でもアルミンク/NJP、持ち味の繊細さを生かした快心の演奏ではなかったでしょうか。
今日のような演奏で聴くと、ロクシンの他の作品も聞いてみたくなりますね。また取り上げてくれませんか?>マエストロ。
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